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主人格と他人格の関係 <その2>

解離性同一性障害

「障害」という言葉が付いていますが、多重人格であることが本当に「障害」なのかどうかは、解離者がどう思うかによります。

耐え難い精神的苦痛から逃れるための『解離』は、脳に備わっている防衛本能です。その延長線上に解離性同一性障害(多重人格)や、解離性健忘などがあるわけです。

解離のおかげで精神的な苦痛から緩和されている解離者もいるわけですが、ただ、そのために生活に支障があったりすると、そういう意味では「障害」ということになってきます。解離性同一性障害でいちばん不便なことは、「記憶の共有ができない」ことかもしれません。

他人格は、表にいても裏にいても、基本的には他の人格の行動を認識できています。しかし、主人格に限っては、他の人格のことがわかりません。自分が「裏」にいるとき、表にいる他人格が何をしていたのか、どこに行ったのか、一切のことを把握できません。主人格にとってはそれがいちばん不便であり、不安でもあるかもしれません。

ごく稀なケースですが、主人格と他人格とで記憶を共有できている解離者もいます。他人格が表で行動したことが、録画した映像をテレビで観るような感覚で伝わってくるそうですが、ほとんどの解離者は記憶を共有できていません。主人格が他人格の行動を知るための唯一の手段は、他人格によるメモ書きや動画などで記録してもらうことか、第三者に教えてもらうことだけです。


人格の表裏の入れ代わりも自由自在というわけではありません。「変身!」の一言で自分のタイミングで仮面ライダーになるようにはいきません。主人格の精神状態であったり、他人格の意思であったりそういったタイミングで入れ代わったりします。解離者によっては、主人格の意思で交代できるようになったという人もいます。

主人格と他人格が交代するのに要する時間は一瞬であることがほとんどなので、会話をしている目の前で急に違う人格と入れ代わることもあります。


主人格も他人格も同一の身体で生活をしています。主人格が表にいようが、他人格が表にいようが、解離の事情を知らない周囲の人たちは、当然のことながら「一人の人間」として接してきます。人格が入れ代わる度に、話し方や性格があからさまに変化していては、周囲から異様な目で見られてしまいます。そのため、主人格が表にいるべきときには、他人格もできるだけ入れ代わらないようにしていたりするようですが、主人格の精神状態が不安定なときなどは、他人格が表に出て、主人格の素振りを装ったりしているときもあります。第三者は、まさか人格が入れ代わっているなどとは思いもしません。

ケンジの他人格たちが、ときどき僕に対してケンジを装って話しかけてくることがあったりもしますが、ある程度会話をしていると「ケンジではないな」と気付きます。ケンジではないということだけでなく、他人格の誰だかもわかります。

ケンジとは違う人格でありながら、生活上、ケンジの素振りを見せなくてはならない彼らにとっては、
「うまく装えてると思ったんだけどな」と残念がってきたりしますが、僕もケンジと他人格の彼らとはそれなりに接してきた友人ですから、それぞれの個性の違いは見抜けます。もちろん「解離」の事情を知っているという前提もあるからでしょうが。


上記のように、他人格が解離の事情を知らない誰かと接しているときには、主人格のキャラを演じています。

主人格であっても他人格であっても、その人格ひとりひとりにそれぞれの個性があります。同一の身体であるため、一見、1人の人間がいるだけに見えますが、しかしそこには『人格 』の数だけ『人』が存在しています。

他人格のひとりひとりが『人』として、性格も思考も違う個性を持っているのにもかかわらず、『自分の存在』を誰にも一切気付かれないまま、そして認めてもらうことがないまま、長い長い時間ひっそりと主人格を装っていたわけです。


『自分』という存在を、

誰にも知られないまま、
そして誰にも認めてもらえないまま、
されどそこに『自身』が存在している、

それが他人格です。