主人格と他人格の関係 <その1>

主人格と他人格は、同じ身体でありながら「他人」同士といっても過言ではありません。

ではまったくの他人なのかといえば、僕はそうとも感じていません。

それは「他人格」がまったく関係のないところから無意味に生まれてきたわけではなく、主人格が子供の頃、生きるために必要として強く描いたものだからです。

主人格と他人格、

精神的苦痛に押し潰された主人格が「生きる」ために、脳が他人格を育て続けた、そう解釈して間違いはないと思います。ここで誤解してほしくないのは、「利用する」という意思で主人格が他人格を生み出したわけではないということです。

主人格の身体は、他人格にとっても『自分の身体』です。主人格が耐えがたき精神的苦痛によって弱ってしまったとき、もしくは「消えてしまいたい」、「死にたい」と思い続けるようになってしまったとき、身を生かすために他人格が主人格を"裏"に引っ込めさせ、他人格が代わりとなって"表"の生活を続けます。

「表」と「裏」、
解離性同一性障害のもとで「表」と言われているのは、僕らがあたりまえに暮らしている日常の場を指します。とはいっても、それが普通の人にとっては当然のことなので「表」という認識すら考えてもいないことなのですが。

「裏」というのはその反対です。他人格の話によれば、「真っ暗というわけでもなく、明るいというわけでもなく、薄暗くモヤがかかったような所」だそうですが、しかし "目で何かを見る"という感覚の世界ではないようで、"意識"で感じる世界のようです。

「表」には、主人格もしくは他人格のうち1つの人格しか居れないのとは対象に、「裏」では、表に出ている人格以外の人格がそこに居ることになります。「裏」にいるそれぞれの人格同士は、そこで互いの存在を認識することができ、対話をすることもできるようですが、さきほどのように "目で見て"いるわけでなく、意識として感じているようで、そのため、お互いの顔立ちや容姿が見えているわけではないようです(身体は同じなのでそれぞれが違う容姿をしていたとしたらそれもおかしな話ですが…)。

しかし主人格に限っては「裏」というものを感じてはいないようで、他人格が「表」にいるときは、主人格は寝ているときと同じ意識のようです。

他人格は「裏」に居ても、「表」で起こっていることを認識できるようですが、主人格に限ってはそれができません。つまり、主人格の代わりに他人格が「表」で活動しているとき、同じ身体は動いていても、主人格はそのことを知りません。他人格と対話をすることもできず、主人格にとっては「いつのまにか寝ていた」、「記憶が飛んでる」という認識でしかありません。そのため、自分が解離性同一性障害であることを自覚するのには、異変に気付くまで知らないままなのです。

解離者のよくある話として、
「駐車場に停めたはずの車が、次の日に違うところに停まっていた」、「寝ていたはずなのに、自分を外で見かけたと知人に言われた」など、そういったことがきっかけで異変に気付き、解離しているということをゆくゆく知っていくというケースが多々あるようです。


人格の「交代」は、数時間から数日間という場合が大抵だと思われますが、主人格が生きる意思を完全に無くしてしまったために完全に裏に引っ込んでしまい、他人格が「新たな主人格」となる人格交代に至ったケースも報告されています。


他人格と接していると、性格も、話し方も、思考も、特技も、主人格と他人格ではまったく別人でありながら、「その身を生かす」という点では共通の意思が見えてきます。解離性同一性障害の性質上、人格同士の性格が合わずに対立していることも多くありますが、どの人格も「生きる」ために存在しています。

しかしながら、中には『脅威』と言われる破壊的な性質を持った人格も存在し、犯罪や自殺に至ってしまった例もあります。