ケンジの解離の事情<子供は皆から愛される>

当時、ケンジが親密に接していた友人がいました。ケンジにとって一番心を開いて話ができるその友人は、カナメにとっても魅力的に思える存在でした。

恋心という思いよりも、その友人の優しさや穏やかな笑顔といったものが、カナメにとっては何よりも素敵なものでした。本当はその友人と直接話がしてみたくても、姿そのものはケンジであり、容姿も声も男になってしまうそのことに強く抵抗を感じているカナメにとっては、どうしても叶えきれないことでした。ただただそっと密かに、その友人の笑顔を見るに留めておくしかなかったのです。それでもカナメにとっては、その友人の笑顔が大好きでした。

その頃に「ヤス」という子供の人格が生まれます。

子供と接することが好きというその友人なら、子供にはもっともっとたくさんの笑顔を見せてくれるのではないかというカナメの思いから生まれた人格です。
後にカナメはこう話してくれました。
「どんな人でも子供には無条件の笑顔で接してくれる。私はその笑顔を見たかった。」


ヤスは、他人格の皆からは「ヤスちゃん」「ヤス坊」と呼ばれ、ケンジは「子ケンジ」と呼び、皆から可愛がられている存在であり、そして他人格として一番最初に僕に話しかけてきた子供の人格が、このヤスでした。

優しい心の持ち主であり、子供らしく無邪気で、かしこく、怖がりだけど、ケンジや皆を守ろうとする気持ちをしっかり持っているそんな子です。エクレアが大好きで、絵を描くのも大好き。僕がそのことをケンジに伝えると、ケンジは色鉛筆とスケッチブックを準備してくれたようで、ヤス坊主はケンジと僕に絵手紙をプレゼントしてくれました。

家から外に出ることができません。というよりも、外に出さない方がいいという他人格たちの判断です。よく、雪が積もる日には「お外で遊びたい」と言ってきますし、桜が咲く頃になると、部屋の中から窓の外を眺め「お外に出たたいな」と言ってくることがあります。人格は子供なので、外で遊ばせてあげたい気持ちはケンジも他人格たちにもあるのですが、彼にとってはその外も危険な場所になりうるわけです。他の人格たちと違って、ヤスは主人格だとか他人格だとか、そういう違いを理解しているわけではなく、自身がおかれている状況も理解できていません。裏の世界にいるときは、他の人格たちと一緒に遊ぶことができているようですが、表の世界にいるときは、自分の身ひとつであり、大人が一緒に着いているわけではありません。ひとりでお絵かきをし、ひとりでテレビを見て、ひとりでゲームをしたり、ひとりで窓の外を眺めています。

タバコの臭いをかなり嫌います。そのため、ケンジがタバコを吸った後の臭いによって吐いたり、頭痛であったり、タバコ以外のことでもストレスによって腹痛を起こしたりすることがあります。

自宅にいるときは、他人格たちの中で表にいることが多いのもヤスといわれています。

ケンジの解離の事情 <知られることのない気持ち>

「男らしく」振る舞い続けなければならなかった学生時代が過ぎる頃、ケンジは音楽活動に没頭し始めます。ライブ活動をしたり創作活動をしたり、彼にとってはそれが大きな生き甲斐となってきます。

それが高じてか、「男らしさ」を担ってきたタケシの力を借りることもなくなり、そして新たな存在を生み出すこともなく、比較的安定していた時期だったとタケシは話してくれました。そしてこの頃には、ケンジは幼い頃に生み出した「女の子」カナメのことも忘れていったようです。

しかし、カナメは消えたわけではありません。ケンジによって閉じ込められたカナメは、誰にも存在を知られることなく孤独な気持ちを背負って行き続けてきました。

ケンジ自身が生み出し、そして6人の他人格の中でも幼いときからバランスをとってきたカナメは、感情がケンジとリンクしていると言われています。ケンジが辛いときにはカナメも辛さを感じ、カナメが辛いときにはケンジもメンタルが不安定になったりもします。


ケンジにとって大切な友人は、カナメにとっても大切な存在でした。とはいっても、カナメにとっては直接話をするわけでもなく、一緒に時間を過ごすわけでもなく、ましてや「女性」である自分が男の姿で大切な人たちに接するということが屈辱と苦痛でいっぱいでした。そして何より、閉じ込められてしまったことによってカナメの意思は何もかも掻き消され、独りひっそりと誰にも知られることなく、ただ存在だけが生きるという状態でした。

そういった時間が長く長く続くことになります。

ケンジの解離の事情 <男らしく>

思春期を迎えた中学生ぐらいの頃、男子は男子と、女子は女子と、それぞれ同性の友達と関わることが多くなってきますが、ケンジも同じように男友達と活発に行動するようになりました。

友達にもよりますがこの年頃の男子には、タバコを吸ってみたり、ちょっと悪いことをしてみたりと、そういうやんちゃな類いもいたりで、ケンジもそういった男子グループの中にいたようです。

しかし、ときにはその男子仲間の中でうまくやっていくために、ケンジが望まないことをやらざるをえないときもありました。不本意ながら、小さな生き物にいたずらをしたこともあったようで、ケンジの話によれば、そこで拒否をすれば仲間から外されてしまうということを恐れていたようでした。

男友達の中で上手くやっていくには、自分も男らしく振る舞わなければ…

この頃、彼が両親に恥をかかせることなく「生きて」いくために苦悩していたことです。

そのために「男らしく」「やんちゃに」と振る舞ってはいたものの、しかしケンジの心の中にある優しさが無くなることはありませんでした。小さな生き物にいたずらせざるをならなかったとき、とても苦しかったことを話してくれました。帰宅したあと、1人でその場所に戻り、死んでしまったその生き物を泣きながら「ごめんね…ごめんね…」と謝り土に埋めたそうです。

ケンジ自身が自分のそういった行動を許せなかった以上に、それをもっと苦しく感じている人がいました。役割分担をしていた女の子「カナメ」です。

ケンジが思春期を迎え、心身ともに男らしく成長しはじめた頃、同じ身体の中にいる女の子のカナメにとってはそれが大きな苦痛となりはじめたのです。

「自分は女なのに、顔立ちも、体つきも、声も、いっそう"男"になっていく…」

想像してみてください、男なのに女性の身体をもつ自分、女なのに男性の身体をもつ自分。

それに加えて、男友達と男ならではの付き合い方、そして生き物に対する行為、カナメにとっては苦痛ばかりが重なっていきました。実際、ケンジがその小さな生き物にいたずらせざるをえない苦境だったとき、「その女の子に強く止められた」と話していましたが、友達仲間から孤立してしまう恐怖さには勝てなかったそうです。

これまで役割分担をしバランスをとっていたケンジとカナメは、こういった状況でバランスが崩れていくことになり、「男らしく」振る舞わないと孤立してしまうことを恐れていたケンジにとって、女性らしさを担い男友達との付き合いを拒んでくる「女の子」の存在が邪魔になってきたのでした。

そしてケンジは、この「女の子」の存在を封印し、閉じ込めました。

男らしく振る舞うことが必要な自分にとって女の子の感性は不要となり、男友達の仲から孤立しないよう努めていくわけです。「自分の力で乗り越えていけるようになった」と当時のケンジはそう思っていたようですが、実はこの頃、本人の気付かないうちに新たな"同じ身体の中のもう1人の自分"が生まれていたのでした。

「男らしく」振る舞っていくことがその頃のケンジにとって『生きる』術、

しかし誰より優しさも兼ね備えたケンジにとって、ときには過剰な「男らしさ」を振る舞わなければならない状況が苦であり、それを拒否すれば孤立してしまうという恐れを抱き、心の内では苦痛が募っていったのでしょう、その頃に『タケシ』という人格が生まれました。

タケシは、女好きで酒好き(現在は飲んでいない)、話し方もヤンキー口調でめんどくさがり、されど、一見悪そうで義理堅い、そんな性格の持ち主。おそらく、「男らしく」振る舞うことに苦痛を抱くこともあるケンジにとって、タケシが代わりに振る舞ってくれれば苦痛を抱くことなく、男友達の仲から孤立してしまう怖さから解放されたのでしょう。

ケンジは「この頃の記憶がほとんどない」と言います。そして後に「この頃はオレがほとんど表にいた」とタケシから聞くことになりました。

幼少から小学生の頃に「女の子」カナメと役割分担をして乗り越えていたケンジは、思春期を迎えた頃から、自身の気付かないうちにカナメと正反対の性質をもったタケシと共存して苦痛から逃れていったわけです。

ケンジの解離の事情 <女の子>

主人格であるケンジには、僕が把握している限りでは、

・ヤス
・カナメ
・タケシ
・ユウジ
・ミノル
・ケンイチ

の、6人の他人格がいます。

最初に僕にLINEで話しかけてきた子供ケンジが「ヤス」と呼ばれる他人格です。


解離性同一性障害の大半が、子供の頃に虐待を受けていたことがあるという話を書きましたが、ケンジの場合はそうではありません。

もしかすると、幼少の頃に両親が他界したことが子供ながらに精神的な苦痛だったのかもしれないと思い、ケンジ本人に話を聞いてみましたが、むしろ彼の気持ちには「自分をこの世に残してくれた両親に感謝している」という強い一心がありました。

親に恥じないように、
親が笑われないように、

まだ幼かった頃から、彼がいつも自分に言い聞かせていた言葉です。

「あの子には両親がいないから」

もし周りの人たちにそう言われてしまったら、自分をこの世に残してくれた親に申し訳ない、だからこそケンジは誰よりも強く生きようと努力をしてきました。

そして、守られる側よりも、人を守っていく側でありたいと、子供ながらにしてそういう自分を描くようになっていったケンジですが、上手くいかないこともありました。

友達と遊んだり、そういうアクティブな面では上手くこなせていても、大切な友達に優しく接するなど、内面的な部分ではどう渡っていけばいいのか、そういう部分を苦手としていたようです。

苦手なことは苦手で仕方がない、

一見、それで済むようなことかもしれませんが、ケンジにとってはそうではありませんでした。彼にとって自分が上手くできないことが、周囲からは「親がいないから」と見られてしまうことに繋がってしまう、そういう不安がいちばん大きくのし掛かっていたのです。


「女の子だったらいいのに」

女の子だったら、優しさや内面的な部分で友達と上手く接していけるのに…、そう強く思うようになったケンジは、次第に自身の代わりとなってくれる女の子を作り出していくようになったわけです。

活発な動きはケンジ自身が担当し、内面的な部分ではその女の子が担当し、そうやって役割分担をすることによって、彼は友達とのコミュニケーションをこなしていくようになりました。その「女の子」の名は『カナメ』といい、後に他人格として成長していくことになるわけです。

こうして"自身"の中で、男である「自分」と、作り出した「女の子」とで上手くバランスを取って歩んんでいたのですが、そのバランスも、だんだんと崩れだす時期が訪れてきたのでした。

ケンジの解離の事情 <発覚>

ここからはケンジの解離について書いていきます。
僕自身がここ数年、ケンジと他人格たちから聞いた話などを主に書いていきますが、皆のプライバシーも考慮し詳細を避ける点もあります、ご了承ください。


僕が初めてケンジの他人格とやり取りしたのは、2013年12月14日。LINEで「母さん」と呼びかけられました。

もちろんこのときは、他人格から話しかけられたという認識はなく、解離性同一性障害という言葉も知らなければ、多重人格というものすら性格の裏表が激しい人の例えぐらいでしか思っていませんでした。

ケンジの幼い頃に両親が他界していることや、そしてケンジの手には両親の名前のタトゥーが彫られていることは知っているので、彼の母親への想いは想像がつきますし、いつも、強くて熱い男を見せている反面、泥酔すると子供のように素直な一面を見せてきたこともあったりと、彼のいろいろな本音をよく聞いてきた側からすれば、まぁなんというか、特殊なことがあっても違和感はないなという感覚でした。それ故、LINEでとつぜん「母さん」と話しかけられたときも、メンタルが弱って童心を思い出しているのかなぐらいに思っていました。

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この日から2ヶ月ほど、ほぼ毎日のように子供ケンジからLINEで話しかけてくるようになり、お母さんのことや、思い出の場所の話などをよく話してくれました。そして話を聞いているうちに、どうやらこの子供ケンジは"子供に戻ったケンジ"というよりも、"子供の頃のケンジ"がタイムスリップしてきたような感じなんだと認識するようになります。

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この子供ケンジとのやり取りは、当時はケンジには伝えていませんでした。どういった事情なのか、何が起こっているのか、当初は僕も初めての経験であり、解離の知識もなく、子供ケンジの会話の流れからもしかするとケンジは、子供の頃に経験した寂しい思い出などを、本人も気付かないうちに清算しようとしているのかなと、推測や分析をしながら様子を見ていました。

ケンジ本人が素に戻ってそういう話をしてこない以上は、僕から子供ケンジの件は持ち出さないようにしていたわけですが、ある日ケンジがLINEのログに気付き、このとき初めて、僕と子供ケンジのやり取りを知ったわけです。

ケンジはその事実に動揺を隠せないほど驚いた様子で、同時に僕も、ケンジが無意識のうちに子供ケンジになっていたことを実感したわけです。

こういった経緯があり、そしてこれが『解離』という現象ではないかと知った僕は、そこから解離性同一性障害のことをいろいろと調べていきました。

主人格と他人格の関係 <その2>

解離性同一性障害

「障害」という言葉が付いていますが、多重人格であることが本当に「障害」なのかどうかは、解離者がどう思うかによります。

耐え難い精神的苦痛から逃れるための『解離』は、脳に備わっている防衛本能です。その延長線上に解離性同一性障害(多重人格)や、解離性健忘などがあるわけです。

解離のおかげで精神的な苦痛から緩和されている解離者もいるわけですが、ただ、そのために生活に支障があったりすると、そういう意味では「障害」ということになってきます。解離性同一性障害でいちばん不便なことは、「記憶の共有ができない」ことかもしれません。

他人格は、表にいても裏にいても、基本的には他の人格の行動を認識できています。しかし、主人格に限っては、他の人格のことがわかりません。自分が「裏」にいるとき、表にいる他人格が何をしていたのか、どこに行ったのか、一切のことを把握できません。主人格にとってはそれがいちばん不便であり、不安でもあるかもしれません。

ごく稀なケースですが、主人格と他人格とで記憶を共有できている解離者もいます。他人格が表で行動したことが、録画した映像をテレビで観るような感覚で伝わってくるそうですが、ほとんどの解離者は記憶を共有できていません。主人格が他人格の行動を知るための唯一の手段は、他人格によるメモ書きや動画などで記録してもらうことか、第三者に教えてもらうことだけです。


人格の表裏の入れ代わりも自由自在というわけではありません。「変身!」の一言で自分のタイミングで仮面ライダーになるようにはいきません。主人格の精神状態であったり、他人格の意思であったりそういったタイミングで入れ代わったりします。解離者によっては、主人格の意思で交代できるようになったという人もいます。

主人格と他人格が交代するのに要する時間は一瞬であることがほとんどなので、会話をしている目の前で急に違う人格と入れ代わることもあります。


主人格も他人格も同一の身体で生活をしています。主人格が表にいようが、他人格が表にいようが、解離の事情を知らない周囲の人たちは、当然のことながら「一人の人間」として接してきます。人格が入れ代わる度に、話し方や性格があからさまに変化していては、周囲から異様な目で見られてしまいます。そのため、主人格が表にいるべきときには、他人格もできるだけ入れ代わらないようにしていたりするようですが、主人格の精神状態が不安定なときなどは、他人格が表に出て、主人格の素振りを装ったりしているときもあります。第三者は、まさか人格が入れ代わっているなどとは思いもしません。

ケンジの他人格たちが、ときどき僕に対してケンジを装って話しかけてくることがあったりもしますが、ある程度会話をしていると「ケンジではないな」と気付きます。ケンジではないということだけでなく、他人格の誰だかもわかります。

ケンジとは違う人格でありながら、生活上、ケンジの素振りを見せなくてはならない彼らにとっては、
「うまく装えてると思ったんだけどな」と残念がってきたりしますが、僕もケンジと他人格の彼らとはそれなりに接してきた友人ですから、それぞれの個性の違いは見抜けます。もちろん「解離」の事情を知っているという前提もあるからでしょうが。


上記のように、他人格が解離の事情を知らない誰かと接しているときには、主人格のキャラを演じています。

主人格であっても他人格であっても、その人格ひとりひとりにそれぞれの個性があります。同一の身体であるため、一見、1人の人間がいるだけに見えますが、しかしそこには『人格 』の数だけ『人』が存在しています。

他人格のひとりひとりが『人』として、性格も思考も違う個性を持っているのにもかかわらず、『自分の存在』を誰にも一切気付かれないまま、そして認めてもらうことがないまま、長い長い時間ひっそりと主人格を装っていたわけです。


『自分』という存在を、

誰にも知られないまま、
そして誰にも認めてもらえないまま、
されどそこに『自身』が存在している、

それが他人格です。

主人格と他人格の関係 <その1>

主人格と他人格は、同じ身体でありながら「他人」同士といっても過言ではありません。

ではまったくの他人なのかといえば、僕はそうとも感じていません。

それは「他人格」がまったく関係のないところから無意味に生まれてきたわけではなく、主人格が子供の頃、生きるために必要として強く描いたものだからです。

主人格と他人格、

精神的苦痛に押し潰された主人格が「生きる」ために、脳が他人格を育て続けた、そう解釈して間違いはないと思います。ここで誤解してほしくないのは、「利用する」という意思で主人格が他人格を生み出したわけではないということです。

主人格の身体は、他人格にとっても『自分の身体』です。主人格が耐えがたき精神的苦痛によって弱ってしまったとき、もしくは「消えてしまいたい」、「死にたい」と思い続けるようになってしまったとき、身を生かすために他人格が主人格を"裏"に引っ込めさせ、他人格が代わりとなって"表"の生活を続けます。

「表」と「裏」、
解離性同一性障害のもとで「表」と言われているのは、僕らがあたりまえに暮らしている日常の場を指します。とはいっても、それが普通の人にとっては当然のことなので「表」という認識すら考えてもいないことなのですが。

「裏」というのはその反対です。他人格の話によれば、「真っ暗というわけでもなく、明るいというわけでもなく、薄暗くモヤがかかったような所」だそうですが、しかし "目で何かを見る"という感覚の世界ではないようで、"意識"で感じる世界のようです。

「表」には、主人格もしくは他人格のうち1つの人格しか居れないのとは対象に、「裏」では、表に出ている人格以外の人格がそこに居ることになります。「裏」にいるそれぞれの人格同士は、そこで互いの存在を認識することができ、対話をすることもできるようですが、さきほどのように "目で見て"いるわけでなく、意識として感じているようで、そのため、お互いの顔立ちや容姿が見えているわけではないようです(身体は同じなのでそれぞれが違う容姿をしていたとしたらそれもおかしな話ですが…)。

しかし主人格に限っては「裏」というものを感じてはいないようで、他人格が「表」にいるときは、主人格は寝ているときと同じ意識のようです。

他人格は「裏」に居ても、「表」で起こっていることを認識できるようですが、主人格に限ってはそれができません。つまり、主人格の代わりに他人格が「表」で活動しているとき、同じ身体は動いていても、主人格はそのことを知りません。他人格と対話をすることもできず、主人格にとっては「いつのまにか寝ていた」、「記憶が飛んでる」という認識でしかありません。そのため、自分が解離性同一性障害であることを自覚するのには、異変に気付くまで知らないままなのです。

解離者のよくある話として、
「駐車場に停めたはずの車が、次の日に違うところに停まっていた」、「寝ていたはずなのに、自分を外で見かけたと知人に言われた」など、そういったことがきっかけで異変に気付き、解離しているということをゆくゆく知っていくというケースが多々あるようです。


人格の「交代」は、数時間から数日間という場合が大抵だと思われますが、主人格が生きる意思を完全に無くしてしまったために完全に裏に引っ込んでしまい、他人格が「新たな主人格」となる人格交代に至ったケースも報告されています。


他人格と接していると、性格も、話し方も、思考も、特技も、主人格と他人格ではまったく別人でありながら、「その身を生かす」という点では共通の意思が見えてきます。解離性同一性障害の性質上、人格同士の性格が合わずに対立していることも多くありますが、どの人格も「生きる」ために存在しています。

しかしながら、中には『脅威』と言われる破壊的な性質を持った人格も存在し、犯罪や自殺に至ってしまった例もあります。

『解離性同一性障害』とは <その3>

子供の頃の何らかの精神的苦痛から逃れるため描いた「自分じゃない"他人"」。

この"他人"が後々、独立した人格を持ち『他人格』となってくるのですが、その存在を主人格は知りません。主人格が知らず知らずのうちに、いつの間にか他人格が成長していきます。

主人格が自分で作り出した"他人"とはいえ、それはまだ無力だった子供の頃のことで、心身ともに成長するにつれ、この"他人"に頼らなくとも自分の力である程度のことは乗りこえられるようになり、それまで身代わりとなってくれていた"他人"の存在を忘れるようになっていきます。

しかし、その頃にはすでに「精神的苦痛を回避する→身代わりに頼る」という防衛システムが、その人の脳の中で出来上がっているのかもしれません。

忘れられた"他人"は、その子が成長したあと、ある日突然『他人格』となって表に出てきます。

身体は同一ですが主人格とは別の人格なので、性格はもちろん、考え方や話し方、しぐさもそれぞれ違います。そして、「身体は同一」といえども顔つきや表情も変わってきます。

よく「別人を演じているんでしょ?」という見解を聞いたりしますが、もしあなたが別人を演じるとした場合、その別人の性格や言葉づかい、そして思考などを何年間も、しかもまったくぶれずに演じることができるでしょうか?ときどき多重人格者になりきっている人がいたりするようですが、実際に解離性同一性障害の他人格たちと接し続けてみると、「演じる」というだけでは筋が成り立たないということに気付かされます。

昔の話で、ある日突然、別人のようになってしまった人のことを「狐が乗り移った、憑依した」と言っていたようですが、これも解離だった可能性があるとも言われています。

『解離性同一性障害』とは <その2>

「自分じゃなかったらいいのに」

精神的な苦痛から逃れるために、このように強く強く願う子供がいます。


「辛いのは"自分"じゃないんだ、"他人"なんだ」


自分じゃない、自分じゃないと自身に言い聞かせて、受ける苦痛を緩和しようとする手段を子供自ら作り上げるわけです。

"自分じゃない" そこには "他人" を置くわけです。自分よりも強くて、おりこうで、なんでも上手にできて…、そんな"他人"に代わってもらたいと強く思い描くようになります。

自分の身体の中にいる"他人"

それが後々「他人格」となっていくのが『解離性同一性障害』、すなわち多重人格の成り立ちです。


実際に、解離性同一性障害を抱えている人の大半が、子供の頃に虐待を受けていたことがあり、そして女性が半数以上の割合を占めているというデータがあります。もちろん、子供の精神的苦痛が虐待だけに限られるというわけではありませんが。


子供にとって "自分の身体の中にいる他人"
はとても便利な"人"となっていきます。辛いときにはこの"他人"が身代わりになってくれて、自分が苦手なことからもこの"他人"が上手くこなしてくれるようになります。大人のように自身で乗り越える
力が備わっていない子供にとって、こうして「自分の身体の中にいる"他人"」を強く描くことが苦痛から逃れられる方法として確立していくことになります。

自身が成長してくると、子供の頃よりも精神的な苦痛から幾分乗り越えられるようになってきます。虐待も受けなくなってきているかもしれません。

しかし、

成長しているのは "自身" だけではありませんでした。"自身" の身代わりとなってきてくれた "自分の身体の中にいる他人" も実は成長していたのです。

「自分の身体の中にいる他人」、この"他人"が自身とは別の人格を持ってきます。これが『解離性同一性障害』です。

・自分自身→主人格
・別人格→他人格

といいます。

どういったシステムで「自分の身体の中にいる他人」が他人格となっていくのかは、脳科学的にも解明されていません。

他人格は、主人格の「理想」として描かれてきた他人"であるため、

・性格が正反対
・主人格が持っていない特技を持っている

などという特徴があったりすることが多く、主人格が女性の場合は特に男性の他人格が大半であったり、スポーツが苦手な主人格にはスポーツが得意な他人格がいたりすることがよくあるようです。

しかし、いくら「理想」を描いた身代わりといえども、受ける苦痛は同じなわけです。身代わりとなっていた他人格でも苦痛に耐えられなくなることがあります。そうなってしまったとき、その他人格はさらに身代わりを生み出し、苦痛から脱しようとします。これが、人格が多重化する原因です。

多重人格という言葉と同様に「二重人格」という言葉がありますが、解離性同一性障害の多くは、複数の他人格を抱えている人が大半だと言われており、それは上記の理由からだとされています。<つづく>

『解離性同一性障害』とは <その1>

ひとことでいえば

「多重人格」

と言われているものです。


『解離』という言葉が付いていますが、他にも

・解離性健忘
・解離性頓走

といった症状などもあります。

「症状」と書きましたが、実は『解離』というものは健康的な人間でも誰もに備わっています。

よくある話としては、「ショックな話を聞いて気を失ってしまった」というもので、これも『解離』の症状とされています。

人間の脳には身を守るための「防衛本能」が備わっています。痛みや熱さを感じると、意思とは関係なく反射的に手や足を引っ込めたりしますね。また、恐怖を感じたときに身体の表面温度が下がったりしますが、これは一番大事な心臓を守るために、脳が身体中の血液を心臓に集める指令を出しているからだそうです。

人間が受けるダメージは痛みなど体感的なものだけではありません。精神的にダメージを受けることもあるわけです。さきほど述べたように、ショックな話を聞いて精神的に耐えられない状況というものもあります。このときに脳は一時的に気を失わせ、大きく乱れた精神状態を落ち着かせるという防衛を行います。これを『解離』といいます。

精神的に受けたダメージというものは、そう簡単には癒せないものですね。耐えて乗り越えていくというのが試練となるのでしょうが、受けるダメージの大きさは人それぞれです。少しずつ積み重なってきたものが、ある日とつぜん爆発してしまうという場合もあります。

どうしても耐えられない記憶から解離することもあります。これを『解離性健忘』といいます。記憶喪失の一種ですが全ての記憶を失うものではなく、辛いこと、その辛さに関係する事柄や人間など、一部の記憶から脳がシャットアウトし、精神状態を維持しようとする防衛本能です。

しかし、精神的な苦痛というものは、一時的もしくは一部の記憶を封印するだけで逃れられるものだけではありません。継続的に襲ってくる苦痛もあるわけです。もしそのようなとき、あなただったらどうしますか?人間関係のこと、仕事関係のこと、家族のこと、酒を飲んで気持ちを解放しますか?誰かに話を聞いてもらって気持ちを解放しますか?人によっては、人間関係を全て断ち切って遠くへ引っ越し、そして気持ちを一新させるという人もいたりしますが、こうして継続的に襲ってくる精神的な苦痛から人はどうにかして解放しようとするわけです。

しかし、それはあくまでも「大人」の話。もしこれが小さな子供だとしたらどうでしょうか?

大人と同じように苦痛から解放しきれるでしょうか?
「酒を飲んで」というわけにはいきません。

「誰かに話を聞いてもらう」、

子供が自分の気持ちをうまく伝えられるでしょうか?

「人間関係を断ち切って遠くへ」、

子供には不可能です。


あなただったらどうしますか?

耐えられない精神的な苦痛、


「これが自分じゃなかったらいいのに」


と思ったことはありますか?

「どうして自分にばかり辛いことが起こるの?」
「誰かに自分と代わってほしい」

いま自分が受けている耐え難い苦痛を、自分ではなく他の人が身代わりになってくれたら、もしくは、誰かが自分と入れ代わって解決してくれたら、もし本当にそれが実現できたら苦痛から逃れることができそうですが、もちろん現実的でありません。

しかし、自分の力で解決する力をもっていない子供によっては、これらのことを真剣に願おうとするのです。これが、

解離性同一性障害

のきっかけとなってきたりします。 <つづく>

はじめに

こんにちは。
ケンジの友人の「タカシ」といいます。

今このブログを読んでいる人は、ケンジにとって最も大切な友人であり、そしてケンジが愛してもいる友人の方々だと僕は思っています。おそらくそういう方々でないと、本人がこのブログの存在を明かしていないと思うので。


「ある程度の事情は知っている」という方、

もしくは、

「いったいどういうことなんだ!?」と思っている方、

このどちらかに該当しているとは思いますが、まずここで率直に書きます、


ケンジは『解離性同一性障害』を抱えています。


簡単な言葉にすると『多重人格』というものです。


『多重人格』というと、映画やドラマ、そしてマンガといった創作世界での話のように聞こえるかもしれませんが、実際には世界中で比較的多くの人たちがこの多重人格、つまり『解離性同一性障害』を抱えており、そしてケンジもその1人です。


このブログでは、

解離性同一性障害(多重人格)とは何なのか
・なぜそれが発生するのか
・ケンジはどうなのか
・なぜケンジがそうなったのか

そして、

・実際に生まれた人格たちのこと
・ケンジを含め彼らとどのように接したらいいのか

などを書き綴っていますが、僕は精神科医でもなければ、解離性同一性障害の専門家というわけではありません。ケンジがそういう状況であるということに初めて気付いてから今まで、僕自身が専門書やさまざまな情報、そして実際にそれぞれの人格たちと触れ続けながら勉強してきたことを内容としています。


" なぜこのブログを書くことにしたのか "


『多重人格』というものを

「本人が演技をしているんでしょ?」
「違う人格になりきっているだけでしょ?」

と浅く判断している人は少なくありません。"浅く"と書きましたが、ここでは「浅はか」という意味合いではなく「日常や普通の感覚で」とでも捉えてください。

僕はそれでも構わないと思っています。そしてケンジ自身、自分が多重人格者であることを完全に受け入れきれているわけではありません。

それゆえ、知人や友人には「隠さないといけない」という気持ちが本人の中ではまだ強くあるようですが、彼にとって近年、それもなかなか難しい流れになってもきました。

ケンジ曰く、
「知ってもらえるならそれに越したことはないんだろうが、それよりも誰も信用してくれないだろうな」。


信用する・しないということではなく、何より、ケンジが想う大切な友人のみなさんが彼のこういう事情に接することがあったときに、これまでと変わらず側にいてもらえたら、まずはその一心でこのブログを書くに至りました。

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